喜怒哀楽
いつも朝、拝聴しているラジオで、興味深い話を伺った。
日本語では、
私は(喜ぶ)とか、
私は(怒る)とか、
私は(哀しむ)とか、
私は(愉しむ)とか、
と、(主語)➕(自動詞)の形で
表現出来る。
一方の英語では、例えば、
(驚く)を表現しようとすると、
I ➕ (surprise)と
(主語)➕(動詞の原形)〜の
ままでは、表現として誤っている。
正しくは、
[ I am surprised … ]
のような
I ➕ (be動詞)➕(受動態の動詞)〜
と表現する。
英語の勉強で、
よく悩まされる部分である。
受動態に変型した動詞は、
《他動詞》となる。
そして、日本語に訳すると、
例えばこの場合だと、
「私は、〜(驚か)された」
という形で、表現がされる。
さて、例えば、
《驚かされた!》
と聞いたならば、
それわ聞いた他者が、
第一に考えうるのが、
「誰に?(もしくは、何に?)」
となる。
英語で言えば、
他動詞の後に
“to(by)…”と表現する。
つまり、英語は文章のなかで、
その反応した主体と客体を、
表現する事が規定された言語とも
捉えられる。
そう考えると
一方の日本語は、
感情の表現が、自動詞である事が
何を意味するのか?
考えるに、
感情の発露は、パーソナルな部分と
非常にリンクしていると捉えられる。
その一方で、
自己完結した言語と、
考えられなくもない。
ならば、主体=語っている人ならば、
客体はどう理解するのか?
それは、語っている人の
関係性を理解し、読み解かなければ、
真意が汲み取れなくなる。
そこらへんの事、
データサイエンティスト達は、
どう捉えているのか、
一度、伺ってみたい。