喜怒哀楽、その2

前回の続き

前回の記事で、英語と日本語では、
感情の表現が、異なることを考えた。
ここで、補足を。

英語において、
感情の表し方は、(〜された)と
受動態で表記し、他動詞を用いている。
この事で、次の特徴が考えられる。
  1. 心理状態を客観的に捉えている
  2. 語っている主体と(〜した)客体の関係性の表示を見て取れる
  3. 発言する者は、その事(感情)は、受動的な態度である
一方、日本語では、
感情の表し方が、英語の(speak)(run)などの、“Do動詞”のように
行動やアクションを伴う
能動態として表記し、
自動詞として規定している。
まとめてみると、
  1. 日本語では、心理状態を主観的に捉えている
  2. 客体の存在は、重要視されていない(主体のみで表現可能)
  3. 発言する者は、主体性、能動性を伴っている
一個人の感情の表し方が、言語によって異なるのは興味深い。

その他にも、
英語は、時制の表現が細かく、
日本語は、動詞の活用形が細かいなど、
言語としての差異が際立っている。

そこで、彼らの生活習慣や、思想•信条の観点からも、考えを進めてみよう。

情感よりも、まず行動

先ず、英語圏の生活習慣を考える。

ルーツが農耕民族の日本人と異なる、
狩猟が盛んだった西洋の習慣の違いなど
種々考えられる。

例えば、
獲物が今其処にいるのか、
または、其処にいたのかで、
彼らの判断が変わり、
彼らの生活にも、多大な影響が出る事が
言葉の習慣にも影響した。

彼らにとっては、
状況把握が第一義であり、
この後、どう行動するのか?
で、生活の全てが決定した。

悲嘆や感傷に暮れるのは、
其の後で、若しくは、
構っていられなかったのかもしれない。

とはいえ、見えない感情に、
精神の安定や何かにすがりたい感情を、見える実体、若しくは、
実在する人や神に
信仰を求めたのかもしれない。

サキヨミニスト、ヒミコ

一方、農耕民族の日本人は、
狩猟民族の西洋人と異なり、
時間に対する考え方が、
厳しい規定されていない。

寧ろ、村の中で、如何に心地よく
関係を維持していくのかというのが、
大きな課題だったのかもしれない。

また、環境の変化が農作物へ影響し、
人々は、天候不順や天変地異を起こす、形の見えない八百万の神に
畏敬と脅威を抱きながら、
種蒔きから実りの時、その後まで、
共同生活でコミュニティを形成した。

ここまでの総括

日本語を語る日本人は、
  1. 感情は、「表現する」と考えられている
  2. 感情は、能動的に発信している
  3. 感情は、自主性やパーソナリティと切り離して考えられない性格を有している。
一方、英語圏の西洋人は
  1. 感情は、受動的に受け止める
  2. 感情を受けての行動に、彼らの判断や思想が現れると考えられる
  3. 感情と行動は、切り離して考えられる
さて、こうして見ると、
西洋人を行動に重きを起き、
感情と行動が分離して
観察可能と観れる。

一方で、
日本語を使う日本人の
感情と行動は、
人格やパーソナルな考えを有して、
主観性を介するのとなる。

さて、日本人の
感情と行動とその人格は
どんな関係性があるのか?

次回に続きます。