喜怒哀楽、その3、からの〜!

前回のおさらい

能動性を持ち合わせた
【主体】に対して、
その主体に対して、何かしらの
イベントを受け止める環境、
若しくは、
他者である【客体】が存在し、
主体の【感情】と【行動】が
とのような流れで
駆動しているのかを考察した。

ここで、
【主体】【客体】【感情】【行動】
という4つの構成要素が揃った事になる。

また、【感情】【行動】に対して、

『受動的』『能動的』な態度も存在する事を確認した。

4つの構成要素と2つの態度
物事の駆動には、構成要素だけではなく、流れ《Flow(フロウ)》が必要である。
光あれば陰が存在し、フィルムのポジとネガのような存在。物は高い所から低い所へと移動をし、電気の電荷はマイナスからプラスへと移動する。
主体の中にある感情と行動の間にも、ある種の作用が働く。

西洋人の考え方

形式的に記述すると、以下の様と考えられる。

〈客体〉→‘受動的’→〈感情〉→〈主体〉→‘能動的’→〈行動〉→〈客体〉

客体からの信号やアクションを、受動的な態度で感情として捉えて、それに対して、主体は、能動的な行動を選択し、環境などの第三者を含めた、客体に反応する。
このモデルの特徴を上げると、
  1. 2つの態度が‘受動的’→‘能動的’の流れを有している
  2. 〈感情〉〈行動〉の間に〈主体〉が存在する。
  3. 構図が〈客体〉から始まり、〈主体〉を経て、〈客体〉に帰結する
これらの特徴を、日本語で表記するとどうなるのか。

日本語の場合

先述の特徴の中に、態度に対する流れが存在した。
一連の流れには、受動的、能動的な働きを存在させるのが必要である。
また、日本語において、【感情】を能動的な物と捉えている。
これらを踏まえて、日本語における感情と行動を記述すると以下の記述となる。

〈客体〉→‘受動的’→〈行動〉→〈主体〉→‘能動的’→〈感情〉→〈客体〉

構成要素の順序が、
【英語】
『感情→主体→行動』のところが
【日本語】
『行動→主体→感情』となっている。

感情の対局にある行動が、受動的な挙動を示さねばならない。

ここで、前回の記事で、詳細に触れることが出来なかった、日本語の動詞の活用形に関して、考えてみよう。

英語の動詞の変形は、例えば、過去分詞で有れば、〜edを連結させる、名詞形にするならば〜ionを連結する、など明確なルールが存在する。
他方、日本語においてはこうだ。
例として、「書く」を考えると
  • 書かない
  • 書きます
  • 書く
  • 書く時
  • 書けば
  • 書こう
直接、動詞を変形させて意味を持たせている。日本語の動詞は、平仮名50音の順列に従い、変形させている。
[中高校時代に悩まされた部分です。]

動詞の変形の多様化、自由度の高さを有する事で、行動に対して受動的な働きを持たせ、感情と行動の間の動きに対する整合性を形成したと見て取れる。

ソーカツ!ソーカツ!!(微笑)

やっと、息抜きが出来る〜〜!
一段落着きそうなところまで見えてきました。登山で言うところのベースキャンプの完成と言ったところだろうか?

ここまで見てきたのは、言語の文法表現から人々の行動と感情をどこまで記述出来るのかという、

3M(無理、無茶、無謀)な思考実験。

結果として、
  • (実体としての)客体
  • (実体としての)主体
  • 行動
  • 感情
という、4つの構成要素と
  • 受動的
  • 能動的
という、2つの態度によって
感情と行動の一連の流れが
記述可能かを試みた。

結果として、その配置は、
「感情と行動の位置が異なる」以外、《配置が同一》というのが確認出来た。

疑問点

とはいえ、この記述には、幾つかの疑問点が生じている。

  1. 〈客体〉から投げかけられた、《受動的な行動》とは、具体的には何を記述しているのか?
  2. 〈感情〉と〈行動〉の位置の違いで、果たして、何に変化が生じているのか?
  3. 〈主体〉から射出された《能動的な感情》は、何処へ向かうのか?
主だった疑問点は、
また次回に、考察してみよう。