喜怒哀楽、その4、セッテにょ日

前回のおさらい

主体の中で起こる、感情と行動の一連の流れを、幾つかの構成要素と態度という記述を用いて表記出来ると確認した。
特長として、
  • 受動的、能動的な態度という対比を用いて、一連の動きに指向性を持たせることが可能
  • 構成要素の配置は、環境などの客体を始点とし、主体を経由し、客体が終点となるモデル
  • 主体の前後に、感情と行動が配置され、それぞれに2つの態度が配置される
条件や構造が、非常に単純なモデルを元に、考察が可能となった。
また、幾つかの疑問点や、不明瞭な箇所が存在し、今回はその疑問点を中心に考察を進める。

まず、その疑問点とは、
  1. 〈客体〉から投げかけられた、《受動的な行動》とは、具体的には何を記述しているのか?
  2. 〈感情〉と〈行動〉の位置の違いで、果たして、何に変化が生じているのか?
  3. 〈主体〉から射出された《能動的な感情》は、何処へ向かうのか?
〔太古の國の在り方〕検討会議
繰り返しの考察になるが、悪しからず。

言語の起源に思いを馳せる時、その当時の彼らの慣習や統治の在り方、果ては、思想や信条にまで、目を向けなくてはならない。
西洋文化は、広大な大陸が地続きで、その中に、キリスト教•イスラム教•仏教などの、考え方や行動原理の異なる民族が多数いる。
共通となる言語は、最小公倍数の表記で、出来る限りの効果を得たいのかもしれない。形式は、シンプルかつ明確な形となる
具体的な特長として、

  • 文書の構成は分かりやすく
  • 主語と述語は近接に
  • 明確な意志は単語としてモジュール化(ex,禁止形のDon'tや、勧誘形のLet'sなど)
文法としての要求と、同時に表現に対して、彼らは、感情を受動的な表記にする事となった。一方で、時制の表現には厳格なルール、場所に関しても明確なルールを定めている。
これらは、狩猟民族としての名残りであり、情感よりも行動、体裁よりも時間と場所の明確化が優先されたと考えられる。

日本は、当にこの真逆で、単独の島国として、単一民族を形成し、農耕民族として、形成されたと考える。

ゲームの大富豪や、麻雀の地方ルールの如く、様々な表記を想定し、尚且つ、バランスが崩れないような言語を考え、英語の真逆を実行すると、

  • 主語と述語を離して、修飾語•副詞が間に入る
  • 文章の真意が、最後に来る、若しくは、述語を変形させて表記し、分かりにくい
  • 類義語の種類の多さ
地政学的には、他国からの侵略が少なく、単一民族として言語体系に大きな変化が少なく、様々な表現が積み重なった。
農耕民族である故、基本となるルールは、暗黙知が継承され、細やかな差異を可能な限り伝える事が、言語に求められたと解釈する。
空から日本を見て驚く事がある。
山や斜面地などの住みにくい地形で形成された日本の大地で、人が居住しているのが、ごく一部の地域だということ。

友好的、若しくは、敵対視する勢力との争いがあったとしても、限りある土地を共有しないと、生活も困難だったのかもしれない。そうなると、村というテリトリー内で行動し、隣接の町と協調するのが合理的配慮だったのかもしれない。

そんな彼らが警戒していたのが、天変地異•洪水•山火事などの自然の脅威なのかもしれない。

ここからは、私なりの考察であります。
日本(語)において重要は、環境などの客体が変化した事を、ビビッドに知れる事が第一義だったのかもしれない。
言語自身に冗長性を、わざと持たせて、人の潜在的機能であるパターン認識を無意識レベルで使用し、細やかな差異に着目するよう、言葉の構造設計をしたのかもしれない。

結果として

前述の《受動的な行動》とは、環境などの客体における小さな機微だったと推測される。
これまで例示した、言語の構造から見た、感情と行動の一連の動きと文化の違いからも、やはり、行動原理やそれぞれの第一義が異なる事が確認できた。

とはいえ、日本語における能動的な感情はどこに向かい、どう客体に影響するのか?提示した記述モデルでは説明が困難である。
客体にも、何かしらのモデルを要するようだが、それは次回に譲るとしよう。