私なりの仮説

異なる領域の分析手法を学習に励んでいる。しかし、そこから生じた結果の吟味が、自己の経験則による評価は通用しない。当たり前だろっと簡単だが、それでも学びたい」という向上心とは裏腹に、正邪の判断に苦心する。

これらの苦心を放置することは、初学者、若しくは、新たな分野への学習に支障をきたすであろう。今後の技術文芸の発展を妨げないかと懸念するのは、余計なお世話だろうか?

最近、学習を一段落させ、救いを求めるかの様に、寺田寅彦先生の著作に触れる。
先生の、統計に対する沢山ある考察を拝見して、考えを巡らせる中で、今回、私の中の一つの思いつきを披露してみる事とする。

⭕️そもそも、統計とは

分析の対象となる(幾何)空間がまず存在し、その空間のある一定の時間が存在し、その上に、種々の分析によって結果が生ずる。

昨今、広い領域(職域)にて、
統計は多くの試行錯誤による検証と
根気強い精錬を経て形成されていく。
議論の対象となるのは、
その分析手法であろう。

分析手法の個々別の特徴を、
議論の対象とするのは、
そもそも空間と時間と手法の中で
観察者が介在出来るのが、
それだからと、見る事も出来る。

一方で、
観察対象となる空間と時間は、
直接的な比較の議論では、
個別のご事情が云々と
議論の議論を招く。

さて、一つ目の時間は
目の前の時計と同等と定義する。
それは、単に時間の長短となり、
委細の議論の対象とするのは、
今回は省略。

もう一つの空間は、
単純な距離、面積、体積が
対象となるだけでなく、
virtualな仮想領域も想起されたり、
あるグループの身体能力や
IQ、EQ、SPI等々、
若しくは、
研究室のシャーレの中など、
見た目も個性も
千差万別と言ったところだろうか。

これらの観察対象の空間量を、
関数Xとして定義し、
新たな知見が見いだせるのか?
考察をしてみたい。

⭕️空間量(仮)

前述した、観察者の想起する
(幾何)空間は千差万別であり、
単純な単位量を定義出来ない。
統計による分析となるならば、
相関の可能性がある
組み合わせの総和と定義するのが
想定しやすい。

この数字の大小が、即、
何某かの優劣に
結びつくとは考えにくい。
寧ろ、尺度としての数字と言える。

どんな尺度かと想いを巡らせると、
研磨の際使用する、
紙やすりに付されている番号が
イメージしやすい。

一般に、
番号の若いヤスリは目も荒く、
大きく研磨する事が出来る。
番号が大きくなれば、
表面の粗さを是正し、
時間を掛ければ、
鏡面のような仕上がりとなる。

さて、前述の関数Xは
観察対象の空間から生じ、
(幾何)空間で用いられる分析手法は、
関数Xと連動すると考える。

⭕️空間量の効用

数を用いる事により、
順列を有することとなる。
分析手法という手続きに
何がしかの優劣は存在し得ない。

しかし、
初学者を含めた第三者に対し、
多様な手法の選択の妥当性の判断を
提供出来ないだろうか?
その逆に、一つの手法に類する
他の手法への転用可能性の有無の
判断材料となり、
多様性の獲得が可能ではないか。

⭕️まとめ

これからのオープンデータ時代の
統計との付き合い方を考えると、
所謂、ギルド制度の様な
分野細分型の学習方法では
間に合わないと考えている。
初学者、若しくは、
他の分野の手法を学ぼうと
腐心されている方々の
参加を促進しなければと危惧している。

私の提案には説明不足な点、
若しくは、倫理的、論理的な破綻も
散見されるかもしれません。
その際は、
コメントなどで補足出来ればと
考えております。

駄文な長文にお付き合い頂き、
ありがとう御座いました。