私の考えている正解が、貴方にとっての正解とは限らない

ゲームにおける二次元と三次元

日本と米国では、好まれるTVゲームの種類が大きく異なる。

まずは、簡単に説明を。

日本では、スーパーマリオブラザーズグラディウスなどの2D(強制)スクロール型が好まれる。
確かに、ハードが進化し、表現力の向上で、ガンスリ戦場の絆のような3Dによる表現で話題になっているゲームもあるが、やはり、以前からの2Dフォーマットに則ったゲームに人気はある。

特に、シューティングゲームにおいては、TPS(サードパーソン•シューティング•ゲーム)として名が知られる様になる。

一方、アメリカで人気のあるゲームを思い浮かべると、CoDシリーズやマインクラフトが挙げられる。
主人公視点で、移動や攻撃などの行動に対して、選択の自由度が高い。また、背景などの細部のディテールに相当こだわっているのも、特徴である。
ハードの表現力が向上し、フルで生かしているのは、アメリカかもしれない。

このようなゲームを、前述のTPSと比較する意味で、OPS(ワンパーソン•シューティング•ゲーム)と呼ばれる。

互いの国で好まれる、それぞれのゲームフォーマットから、考えを巡らせてみよう。

TPSとOPS

TPSは、次のように定義出来そうだ。

  1. 主人公(機)が、操作するプレイヤーに可視化されている。
  2. 行動範囲は、画面の枠内を移動することが約束されている。また、ゲームの舞台は半強制的にスクロールをする。例えば、前方へ進むと後方へは戻る事を辞めなくてはならない。
  3. 障害物や敵機も、画面内においては、可視化されている。主人公機が回避もしくは攻撃を行う事が可能である。
  4. 画面枠外は、主人公機•敵機あるいは障害物は、如何なる干渉をする事は不可能である。

一方、OPSは、TPSの対比としての役割を与えるために、次のような定義を考えてみる。

  1. 操作するプレイヤーは、主人公を観察することは出来ない。代わりに、主人公視点での周りの状況は観察出来る。ステータスや武器•防具などの使用できるリソースが表示され、それらへのアクセスに工夫がなされている。
  2. OPSRPGの様に、プレイヤーの意思によって、針路が決定する。気が変わって、反対方向に進む事も許されている。その代わり、スクロールの様な舞台が変わる要素が無いため、目的地まで自分でコントロールして行かなければならない。
  3. 敵機は、NPCなどの決められた動きをするキャラクターよりも、ネットワーク上の誰かが好まれる。他のプレイヤーの行動は、想定不能であり、攻撃をされたり、または、その攻撃を回避し、ゲームで決められたミッションをクリアして行く。
  4. 前述3の舞台は、ネットワーク上のプレイヤーが共有をし、プレイヤーAの行動が、共有しているメンバーに影響を与えることも可能である。この時、プレイヤーBは、プレイヤーAを画面内で認識していなくてもプレイヤーAの行動の便益を受けられる。それらの便益を受けられるかどうかは、便益の受けられる範囲によって決定する事が多い。
日本人が好むTPS、アメリカ人が好むOPS比較してみてみると、それぞれのゲームフォーマットで要求されるスキルにも、大きな違いや特徴が見えてくる。

TPSは、危険を『回避』するのが、課題と考えられる。
  • 敵機は、画面枠外から湧き出し、主人公機に対して、攻撃や突進、法則性のある動きをする。
  • プレイヤーはそれらを察知し、攻撃を回避しながら攻撃を重ねていく。
  • ステージは、時間とともにスクロールや、不可逆的な進行で、BOSS戦や報酬を求めてなどの目的に向かっていく。
  • 強力な武器を手にしても、その時に攻撃が効果的なキャラクターが居るとは限らない。
主人公の操作できる行動は、例えば、移動以外に出来るのが、ジャンプとしゃがむだけとか、シューティングゲームだと真っ直ぐにしか進まない銃弾で、パワーアップすると画面を真っ直ぐに貫通するレーザーだが、絶対に、枠外には絶対に行かない、など(笑)

一方のOPSは、危険に対して『予知』をする事が求められる。

  • 非常に現実味のある風景が眼前に広がり、その中から、危険な因子を早い段階で認知し、次の行動経路を自ら立てて行う。
  • ゲームに協力する者が居れば、チャットなどのコミュニケーションによって、目的遂行の為の情報を獲得し、リソースの充実や先回りなど、行動の自由が担保されている。
  • 主人公のポテンシャルは、疲労度やスタミナなどのバイタルの作用を反映させている。
OPSには、画面のフレーム外という概念が無く、自由度の高さをユーザーに提供する。その代わり、それを享受するためには、他のプレイヤーの予測が困難な行動による不利益(ダメージを食らう、経路変更などの移動コストの変化など)を覚悟しなくてはいけない。

こうして2つを比較すると、何を持って快適や興奮する要素が見えてきそうだ。

TPSにおいて、画面枠内を縦横無尽に動き、目的を果たすことに、プレイヤーはある種のカタルシスを感じる。

主人公の持つ攻撃手段や期待出来るリソースは制限されている。また、画面枠外への干渉は、いかなる強力な武器を持ってしても、不可能である。これらの制約条件は、敵の攻撃、もしくは、移動のパターンにも適用される。敵の攻撃パターンも、面を進む毎に、難易度が上げながら、その間に強くなった主人公機の、強さを発揮した時に、喜びが生まれるのかもしれない。
これらをワンパターンだと感じるのも、理に適っている。確かに、昔のゲーム機のspecを考えれば、このワンパターンは致し方ないが、今のゲーム機は格段に性能も操作性も洗練されているにも拘らず、TPSのゲームは、需要が高い。

反対に、OPSには、主人公の行動は、プレイヤーに一任されている。ゲーム内の仮想空間を、彷徨い続けても構わないし、ミッションクリアに精を出すのも、自由である。
攻撃手段は、ステージを進む毎に、アイテムという形で選択肢が増えていく。攻撃の範囲も、アイテムに準じたものとなり、画面枠外に対しても有効となる。敵の行動パターンは、AIによるパターンもあるが、オンラインプレイになれば、他のプレイヤーが操作を担う。行動パターンも、互いの利害や思考に依る所が大きい。

名著『菊と刀』には、日本人を観察して得られた、彼らの特性が克明に記述されている。そのなかに、
【応分の場】という概念が存在する。日本人はそれぞれの身分に対して、それぞれの役割分担を提供する事に社会は腐心してきた、と著者は言う。つまり、身分の異なる隣人の役割に干渉することは、有る意味、御法度とされている。

翻って、TPSにおける、華麗なる危険回避と、無駄な動きのない攻撃で得られる快感は、次のように解釈してみる。
  • まず、画面の枠内という応分の場において、自機に対して最小コストの行動を選択し、全敵死滅という最大リターンを得ることが、その瞬間の最大ミッションとなる。
  • それらが、間断無く、飽きることなく続けていくのが、面白いゲームと評価され、最終目的地まで辿り着くのは、当然と考えている。
  • 果たして、それらの世界が、ユーザーに提供されるゴールが、望むべくのものなのかの判断をユーザーに委ねることは無い。
OPSには、危険の回避行動とともに、危険を予知する事が大事となってくる。
  • 画面枠外の干渉という不自由を解消し、ゲームの目的をユーザー自身が選択する。
  • 攻撃•移動などの諸々の手段においても、ユーザー自身に委ねられる。
  • 選択の自由が重要なファクターとなっている。
欧米人は、日本人の応分の場に対する、自由というものへの重要性を行動規範としていると、前述の著書にも記載があった。

ここまで、ゲームという切り口で、日本人とアメリカ人の視点の違いを考察してみた。ここまで、長文の考察にお付き合い頂き、ありがとうございます。

この考えを拡げて考えると、実は、社会における統計学(サンプリング)と情報科学ビッグデータ)の比較に通ずるのでは?と、仮説を立てて考えております。

其れは、またの機会に。