統計学の反対は?

まず、このブログは、統計に関するアレやコレやを、王道を通らずに、邪の道から考えていく、妄想炸裂、安さ爆発、安心してください、書いてるだけですから、と言うブログです。お付き合い頂ければ、幸いです。

さて、冬となると、空気が澄み渡り、夜空を仰ぎ見るのに、いい季節になってきました。

夜空を仰ぎ見るのは、ニュースでの珍しい天体ショーだけになったのは、忙しさに対する怠慢なのか、はたまた、自分の生活の困窮さに余裕がなくなったのか?

さて、今回は日本の天体史を紐解いて、そこから統計(学、若しくは、的)な物に対する考え方を炙り出してみたい。

日本の伝記の中で、「ひかりもの」が現れて、法難・困難を免れたと言う話はよく聞く。ある先人の法難の際に現れたひかりものは、彗星であり、処刑しようとしたその時に彗星が現れたのは事実だと言う、歴史的にも正しかったと言うのが定説となっている。

処刑を試みようとした為政者も、
また、結託していた異教徒たちも、さぞかし、悔しがった事は想像に難くない。
それ以上に、天体を理解していたであろう、
陰陽師も、何でだっ!と思った事だろう。
面子を潰された事だろう。

西洋の天体学が、圧倒的な人的、時間的、または、金銭的なコストを掛けて取り組んだのかを考えると、為政者の権威付けや異文化への理解に対する根拠の必要性から、はたまた、生活の営みの上で単純に必要だったから、色々、憶測は浮かび上がる。

一方の日本は、寧ろ、天候という脅威が生活を支配し、無事と安穏をどう担保するのかが、為政者の腕の見せ所と言った所だろうか?
「あの世に行けば、極楽に行ける」などと言う、トンデモ理論が蔓延り、為政者と結託していたのは、観測で得られる法則を無視している。
非科学的shamanismが蔓延ったとしても、
民集が納得すれば、問題ないと考えたのだろう。

日本に近代的な観測に基づく、西洋天体学が導入されたのは、江戸時代の徳川吉宗の時代だそうだ。前述の伝記は、それ以前の鎌倉時代であり、この時代は、暦の定め方もアバウトな物だったと。

私の拙い天体学史に想いを馳せた後に、
今回の本題に入りたい。

統計学」の反対(相対する)に
位置する考えは、一体なんだろうか?

光に対する影(陰)、
巨人に対する阪神
(プロレスなどの)
ヒーローに対するニヒル、
政治の世界の与党に対する野党などなど。
世の中において、
絶対的な何かを理解する、と言うのは、
なかなか骨が折れるものである。
人間の認識は、相対的な存在を置いて、
色々と理解が深まるだろう。

さて、統計的な事に対するのは、
「類型的」では無かろうか。

対象を絞り、(規程された環境を)観測・観察し、調査し分析するという、一連の統計の流れは観測者から被観測者への(能動的な)働きかけで、事が進んで行くと捉えられる。

一方で、物事は常に影響を与え続けており、統計では観測者だった者は、被観測者の環境、第三者、若しくは、社会情勢を無視したり、行動に対する規制を免れる事は出来ず、パターンに従う。

観測や分析は、観察者に能動的な行動を要求し、結果として圧倒的なコスト(人的、時間的、社会的責務など)を消費すると考えられる。

一方、ルールや規制と言った制約事項は、為政者の立場で考えると、社会的統制や(時間的な)思考のコスト、はたまた、所属意識の醸成などが考えられる。当然、融通が利かないや被対象者のストレスは、それ相応な者となろう。

どちらの優劣を論ずるのは、この多忙な社会の中では、考えるまたは、想いを馳せるという行為は、ある種の贅沢なのかもしれない。しかし、余りにも、脳髄反射的に考えなさ過ぎな人が多く見受けられるのは、何故なのか!と嘆きたくなるばかり。

昔、ラジオのキャッチコピーに、
ダイヤルを少しだけ右に回せば夏が来る、
なんて言う、私世代にはキャッチーで、
今の若いラジコ世代には何ですか〜?な、
謳い文句が有ったのだが、
私も人々の頭の中のダイヤルを
少しだけ、類型的視点では無く、
統計的思考に寄せてみたいのだ。